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夢の続き⑥

(夢の変化が諦めだと勘違いする時期)

教員からすぐに柔整の道に切り替えられたのは

トレーナー研究会での活動と、この3年間ボランティアで少年サッカーの指導をしていたからなのかもしれない。(厳密に言えば浪人時代含め4年)

言わば、ある程度自分の中では環境に満足していて、教員でなくてもサッカーの指導に携わることができること

そして、別の仕事をしながらでもサッカーに携わることができること

ましてや、その仕事でサッカー選手などのサポートができるとなれば

自分は幸せだなと思ったから。

という進路変更から3年時に専門学校を受験し見事合格。

専門学校と大学とのWスクールと接骨院の研修、短期ではあるが教育実習と卒論という

1年があっという間に過ぎ去るくらい忙しかった。

そんなWスクールも1年で終わり、専門学校に集中するも、

3年の国歌試験3ヶ月前に研修先でトラブルが起きる

人間関係のトラブル

試験勉強に集中できなくなる

悩んだ、悩んだ

なぜか

父の紹介で入り、またそこの院長も父の友人でもあるからだ

専門学校の友人達に(みんな年上の人達)アドバイスを聞き

その結果、自分の考えを固めて決断した

研修先を辞めた

いろんな事を言われたけど

全て、反骨心で乗り越えた!

でも・・・

試験の答え合わせで不合格(普段、学校の試験ではありえないミスを連発!!)

あ〜プレッシャーに弱し・・・昔から本番は弱い

合格したものだと想定していたため、次の職場の面接でも『落ちても入れますか?』

と念押しまでしたし。

でも、周りは

『え〜ちゃんが落ちるのはありえないから』

と言われ続けた結果

国家試験に見事合格。

あの時の嬉しすぎた嗚咽は今でも人初めてだ

なんだったんだ、あの落胆は

周りにも、下げるだけ下げておいて何やってんの?と言われました。

という事で、柔道整復師として晴れて、次の職場の整形外科内科に就職し、ここで4年半と最も人生で長い仕事に就いた

そもそも外傷=柔道整復師という考えであったので整形外科で学びたいと思ったのでとても充実した4年半だった。

1番印象深いのは毎週顎が外れるおばあちゃん

そしていつも主任に『古屋〜来たよ〜』とご指名を受けまして。

毎週顎を入れていた

そして整復する度に怒られる  『痛い』って。笑

でも顎の脱臼の整復を経験できない人もいるのでこのばあちゃんには感謝です。

ありがとう!おかげで顎の整復はうまくなったよ!

経験を積める限界まで積んで、

いざ独立へ

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