面倒くさいことをする
こんばんは
今日は昼間に観ていたことを書きたくてうずうずしていたのでこんな時間でも書いてしまっている。笑
それはお手伝いということ
お手伝いは親発信からいうことではあるがまずは親が子に対して『お手伝いしましょうか?』と投げかけるところから始まると思っている
なので、それから子供が『手伝って〜』という言葉に親が応える
といった流れ
普通の流れのように思われるが
成長するに従い、同じことを手伝って〜と言われると
『まだできないの?』とか『もうできるでしょ!早くしなさい!!』
ということになる
これ、親が面倒くさくなっているのですね
で、これから成長するにあたり
親が子に対してお手伝いをするように伝えるのであるが
ここで重要なことがあり
お手伝いをしない子というのは子供の頃に親に手伝ってといったのにも関わらず自分でできるでしょと言われたことに対して『いやいや、お母さん、(お父さん)自分でそれできるでしょ?』と思われているからである
つまりは面倒くさいというものを子供に意識づけてしまったからである
ひどいパターンでは子供の前で『ったく、面倒くさいなぁ!』なんていってしまったらその行為に対して嫌なイメージしか湧いてこないのである
これがいわゆる環境によって成長の仕方が変わるということになる
親ができるできないというのは言い訳でしかなく、子供はその場で起きている現象に対して忠実に受け止めている事実しかないということ
さて、先ほどから面倒くさい、面倒くさいとここで書いていますが
子供の頃に今親が面倒くさいと思っていること、例えばお風呂掃除や買い物、タオルたたみや洗濯物を干す前に一回タオルをパンパンとすることなど
面倒と思わなければ当たり前のことになり、むしろ
『手伝って』ということを言わずに『これやって』という声かけだけで成立する
ひどいパターンは、やらない子に対し、『やってくれたら・・・』というニンジン作戦を導入すること
これは将来大変なことになる、見返りがないとやらないから
お手伝いに見返りはない
それを期待させるのであれば、やったからでなく、お疲れ様で労いの何かを渡す
いわゆる労力に対しての感謝の意である
子供であっても子供扱いせず
そこは大人のように振舞うことで
子供は少し大人になるのだと思う。